バッドEDその後

「…………なに、これ。好春?」
「ごめんなさいちぃ姉」
「なんなのこのぴらぴらした服は? うわ、なんでマニキュアが塗ってあるの? 爪長くなってるし!」
 好春がそっと手を挙げた。
「そのー……僕がやりました」
「あんたっ、服、まさか!」
「わわっ、違うよ! そっちは僕じゃなくてちぃ姉に頼んで自分で着てもらったよ!」
「私が自分で? なんでそんなこと。ていうかそんなことした覚えないし!」
「だから僕のこの力で……」
 目を光らせる好春。赤い光を見て、すぐさまきらは思い出した。
「あんた私を連れて行くって……」
「そう。ちぃ姉の意志を僕が封じ込めて今までずっとここに閉じ込めてたんだ。八咫の一族、普賢の花嫁として」
「…………」
「ちぃ姉…………怒ってる、よね?」
「……バカ! 当たり前でしょ! 人をなんだと思ってるのよ」
「ごめんなさい!」
「あんた、なんでこんなことしたの?」
「……僕……ちぃ姉が好きだから」
「だったらなんで」
「僕だけのものにできる絶好のチャンスだって思ったんだ。ちぃ姉の心が一番弱ってるときなら、僕の力で連れて帰ることは簡単だって。術さえかければずっとちぃ姉と一緒にいられるんだって考えたら止められなかった」
「…………」
「ごめん。ちぃ姉。ごめんなさい!」
「……で、なんでその術とやらを今解いたの?」
「意志を封じたちぃ姉と一緒にこの一年過ごしたんだけど」
「一年!?」
「う、うん。あれからそのくらい経ってるよ」
「ま、まさか学校は…………」
「言ったでしょ? ずっとここに……閉じ込めてたって」
「無断欠席!? シスターが心配してるんじゃ」
「うん。ちぃ姉のことちょくちょく探しに出かけてるみたい。でも、僕のことちょっと疑ってると思う。ちぃ姉の行方のこと知ってるんじゃないかって。僕、こっそりちぃ姉と一緒にいたからあんまり落ち込んだふうには見えてなかったのかも」
「はー……呆れて何もいえないよ……信じられない、もうっ!」
「……あのね、それで僕、ちぃ姉と一緒に過ごして、最初のうちは何でもすごく楽しかったんだけど、ちぃ姉の笑顔も、僕への優しい言葉もみんな僕自身が無理矢理させているんだって思ったら、急に虚しくなって、いつものちぃ姉と会いたくなった。自由で、誰よりも強い眼差しの、生き生きとした表情で笑うちぃ姉が」
「……で、どうなの。戻った私を見て」
「うれしい。たとえちぃ姉が怒っててもいい、僕を睨んでも恨んでも嫌ってもいい、僕の目の前に本物のちぃ姉がいるんだってわかるだけでいいんだ。ごめんなさいちぃ姉、僕すごく自分勝手だった」
「そうだよ。私の意志はどうなるっての。もうバカなんだから! こんなことしなくたって、私はあんたの側にいたのに」
「でもさ…………ちぃ姉は僕に膝枕してくれたり、ごはんをあ〜んってしてくれたりしないでしょ?」
「まさかあんた! 私が寝てる間にそんなことさせてたの!?」
「し、しまった! ……ねえ、もし……そうだっていったら、ちぃ姉怒るよね?」
「決まってるでしょ! あっ、さっき花嫁って言ってたよね? もしかして」
「違う、違うってば、キスもしてないもん!」
「あ、そうなんだ。それはそれで妙に負けた気が……」
「え、ちぃ姉したかったの、キス。僕ならいつでもいいよ! なんなら、今すぐにでも」
「あんたは、も少し反省しなさい!」
「う……ごめんなさい」
「ね、今何時?」
「夜の十二時だよ」
「これからってもう一度は寝れないなー。明日の朝一でシスターと学校に連絡しないと。あ、好春、ここどこ?」
「佐神町のちょっと山に入ったところだよ」
「佐神町ね。そだ、シスターにメールだけでもまず送っておこうっと」
「……ねえ、ちぃ姉、もう怒らないの?」
「なに、やっぱあんたってマゾなの?」
「違うよ! それはもう忘れてよ〜! 僕は怒られててもちぃ姉に相手にされてるほうが無視されるよりずっとうれしいってだけだよ」
「それをマゾっていうんじゃ」
「もうっ、ちぃ姉!」
「いつまでもあんたに説教してたら朝になりそうだからね、今しなきゃいけないことしときたいの」
 携帯を操作したきらは、すぐさま好春の方を見た。
「なに、どうしたのちぃ姉?」
「あんたの携帯貸して」
「う、うん。……はい、ちぃ姉」
 やっぱり怒ってるのだとわかって落ち込む。声はとげがあった。好春に対して弟扱いはするもののここまで高圧的で有無を言わさず何かをすることは滅多ない。ついさっき、「嫌ってもいい」とはいったものの、きらに嫌われることはかなりショックだった。いつもなんだかんだいって、どんなことをしても最後は許してくれるという甘えがあった。きらは自分のことを嫌ったりはしないと、どこかで信じていた。いくらきらでも許容限度というものがあるのだ。信頼を踏みにじり徹底的にその境界を破ってしまったのだから仕方ないと自分に言い聞かせようとしたが、好春は痛む胸を押さえた。心臓の鼓動が速まる。目の前が暗くなる。近くにいるのにきらが遠くなる。
 きらは好春を見ない。視界に入れることさえ拒んでていた。その背中が振り返る。ぱたん、と携帯を閉じて好春に返した。
「ふぅ。ありがと」
「ちぃ姉……」
「好春。あのね、私の携帯使えなかった」
「へ? なんで…………ああっ!?」
「料金滞納で止められたっぽい」
「ごめん、ごめんちぃ姉!!」
「尚和寮の方はどうなってるんだろ……。学校も」
「……あ、あの、ちぃ姉をここに連れて来てからしばらくした後に、シスターが学校に行って休学届け出したみたい」
「あ、そか。じゃあまずシスターに会いにいかないとね。心配してるだろうし。ねえ好春はどうしてたの?」
「……僕は、一応ホームで寝起きしてるけど、学校はサボっちゃうことが多かった」
「あんた、せっかく授業料払ってもらってるんだから行きなさいよ。もったいないでしょ」
「だってちぃ姉と一緒に居たかったんだもん……それに兄さんの手伝いもあったしさ」
「手伝い? あんたの兄さんって」
「そうだよ八咫の長である、遮那……。血清の研究がうまくいって、もう僕もみんなも獣になることを恐れずにすむようになったんだ。元々八咫の一族が人のかたちを保てなくなってきたことで、兄さんが鏡に伺いをたてたことが今回の事件の発端。だからその心配がなくなった今ずっとこのまま山で静かに暮らしていくことにしたんだよ。一謡とも九艘とも関わらずに……八咫の祠の近くに小さな郷を作って、誰も入ってこないよう術をかけて、八咫のみんなと暮らしてる。ここは郷の近くの隠れ家の一つだよ」
 朝まで話をしていたら、二人とものどがからからになった。
 好春はちらりときらの様子をうかがった。目覚めた直後のような怒りはみられない。
「ふぁ〜、結局徹夜しちゃったね。あんた眠くないの?」
「うん、大丈夫。それよりホームに行くなら僕も行くよ。ここにいるために外泊届けは出してきたけど、花壇が気になるからホームにも一度戻るつもりだったしね」
 ふたりそろってホームへ帰ると、シスターは驚いた顔をしてたけど、深くは聞かなかった。きらは一年間行方不明だった理由を昨夜好春とふたりで考えておいたのだ。交通事故に遭いほとんど無傷だったが記憶を失って人里離れた山へたどり着き、そこで親切な人にやっかいになっていたが、好春と再会し、記憶を取り戻したというかなり強引な説明だが、それもシスターは追及しなかった。
 好春はうその下手なきらがぼろをださないよう、要所要所でフォローをいれていたこともあってのことだが、おそらく本当のことをきらが話したくなるまで聞かないつもりのように思える。いつもそうだった。シスターはホームの子どもたちを静かに優しく見守っていてくれている。
 話し終えるまで何度もきらは嘘をついた後ろめたさでいたたまれずに胸を痛めた。けれども本当のことを言うと、どうしても好春がしたことに触れないわけにはいかない。シスターはきらの記憶よりすっと痩せてしまっていた。顔色もよくない。好春の話だと、たびたび行方不明のきらを探すためあちこち出かけたということだ。この人をこれ以上心配させたくない気持ちはきらも、好春も同じだった。
 
 きらはなんとか進級できることになった。交通事故という事情といつもぎりぎりながらも無遅刻だったこと、剣道部での活躍が考慮された結果だった。
 九艘の桐原先生がきらに事情を尋ねてきたが、八咫に連れ去られたが解放されたこと、八咫は目的を果たしたからもう人里に出てこないらしいことだけ答えた。八咫の郷の話はしなかった。あんなに目の敵にして戦っていたはずなのに、きらの中ではそっとしておいてやりたいという気持ちが勝った。桐原先生は後々もきらを見透かすようなまなざしを向けてくることがあったが、それは後ろめさからくるものなのかもしれない。
 一謡の当主、加々良愁一からも呼び出しがあった。葉光学園へ出向いて、桐原先生にしたものと同じ説明をくりかえした。穏やかながら若干の追及を受けたが、八咫に掠われたという事情に気を使ってか、深く問いただすことはされなかった。
 実際に八咫も式も一切山から出てこなくなっていたため、事件はすでに収束したとして尚和町の巡回も必要がなくなり、彼らと会うこともなくなった。
 授業はわからないことだらけだったが、心配した友人や親身になって面倒をみてくれた教師のおかげで、奇跡的に卒業できそうなくらいまで追いつき、普段の勉強と平行して公務員試験の勉強に取り組んでいた。苦手な勉強漬けで頭がおかしくなるほどだったが、今人生の大事な分岐点にいて、一生に一度のことだと自分に言い聞かせて必死で机にかじりついた。
 クリスマスの日はホームで恒例のパーティに好春と一緒に参加し、その夜寮の外出許可をとって八咫の郷へ向かった。そこには好春の住む小さな家があった。
「ちぃ姉、いらっしゃい」
「お邪魔しまーす。……もしかしてあんた一人で住んでるの?」
「うん、っていっても高校卒業するまではホームにいるし、兄さんの手伝いがあるからあんまりここにはいないんだけどね。いずれ必要になるだろうって。一応生活できるくらいには家具とかそろってるよ」
「どおりできれいなはずだわ」
「もー、僕、ちぃ姉よりは片付け上手なつもりだけど?」
「あはは。そっか。……あのね、今日約束したのはさ、あんたにちゃんと返事してなかったから、しとこうと思って」
「返事?」
「……考えてっていったの好春でしょ? 突然夜に寮まできて告白したのもう忘れたの?」
「えっ、ええええっ、ホントに?」
「本当」
「……ちぃ姉」
「私ね、好春のこと好きだよ。一緒にいたい。それで、あんたがまたバカなことしそうになったら叱ってやんなきゃって思ってる。これが答えだよ」
「ちぃ姉は僕のこと、好きって……ホントにホントなの?」
「だからここまで来たのに、もしかしてあのときの告白はなかったことにしたいわけ?」
「ううん、ぜんぜん! 弟みたいとかじゃなくてちゃんとちぃ姉に好きになってもらえるなんて……夢みたい」
「ほっぺたつねってあげよーか」
「わあっ、いいよ、自分でつねるから!」
「結局つねるんだ……」
 信じられない気持ちで、頬をつねる。好春は確かに痛みを感じた。夢じゃないという証拠だ。
「嘘みたい……いたたたたた!」
「ほら、夢でも嘘でもないでしょ?」
 つねられたばかりの赤い頬をきらの温かな手のひらではさまれ、好春は目の前にゆっくり近づいてくる瞳に魅了されていた。
「好春……大好きだよ」
「僕も……僕もちぃ姉が大好きだよ!」
 唇が軽く触れて、離れる。名残惜しげに見送る好春は再びキスしようときらを抱き寄せた。
「たぶん、好春に告白されたとき、もう答えは決まってたんだと思う」
「えっ、そうだったの!? なんだ……」
「なんだは私のセリフ。ちょっとは人の話も聞きなさいよね」
「……ごめんなさい。僕ちぃ姉に嫌なことたくさんした」
 きらの首元に顔を埋めた。かすれた声で何度も謝る。そんな好春をきらは抱きしめた。
「私達はいろいろあったけど、なんとかなって、今私は好きな人といられて幸せだよ」
 きらは唇を二度三度重ねてほほえんだ。
「ちぃ姉…………嬉しい。もしかしたら僕、幸せすぎて死んじゃうかも」
「ちゃんと生きてよ」
 何気なく言った言葉が思いの外重く受け止められ、好春の浮かれた気分が沈んだ。
「ちぃ姉……」
「八咫って結構長生きみたいだけど、私は一謡だから先に死んじゃうと思う」
「そんなこと言わないで、ちぃ姉」
「でもこれは変えられない事実だから。……ね、私がいなくなっても、好春はしっかり生きてよ。お願い」
「やだ、そんなこと考えたくもないよ! どうして今言うの! ちぃ姉元気じゃない、ぴんぴんしてるもん!」
「だって心配なんだもん。私がいない時間も好春に幸せに過ごしてほしい。すぐには無理でもいいから、楽しく生きていてほしい」
「ちぃ姉!!」
「覚悟しておいて。私ね、好春を残していなくなるの心配なんだ。やけになったり、人との関わりを絶ってしまうんじゃないかって」
「……ちぃ姉」
「私は生きてる限りめいっぱい好春を幸せにするし、好春に幸せにしてもうつもりだよ。でもさ……私がいなくなっても、それが最後じゃない」
「ちぃ姉がいない世界なんて考えられないし、考えたくもない」
「好春が生きていてくれる限り、あんたのここの中で私はずっと生きてられるんだよ?」
 きらは指で軽く好春の胸をついた。好春の顔がじわじわとゆがむ。
「僕…………耐えられないよ」
「大丈夫。それまでに私があんたを鍛えてあげる」
「へ!? な、なにするつもりなのちぃ姉」
「それは後のお楽しみ!」
「気になるよっ」
「ずーっと後でわかるよ……」
 近づいてくるきらの唇に、好春は目を閉じて受け入れた。かすかな痛みと、たくさんの喜びを胸に抱えて。

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